花咲じいさんプロジェクトツアー その5
さて、朝8時にホテル観洋を出発し、気仙沼、陸前高田へと海沿いの45号線を走りました。
気仙沼にも父の親しい地福寺さんというお寺が被災されていて、先月末にこちらに来たときには、ご挨拶に立ち寄りましたが、今回は妻にそのお寺を見せただけで、ご挨拶もせずに先を急ぎました。
気仙沼市も、未だに津波をかぶった家屋の基礎が残っていて、津波をかぶらなかったところと明らかに違う景色が広がっています。
国道沿いに「津波到達想定区域」というような新しい標識がたっていて、もしも次に同じような津波が来たときには、ここより高いところに逃げるようにということなのでしょう。
その標識を区切りにして、被災した家の跡と被災していない家の境界線になっているようでした。
陸前高田市にやってきました。街のあったところは御覧の通りの更地です。しかし、宮城県の被災地と違って陸前高田市は津波の被害にあった家の基礎もきれいさっぱり取り除かれていることに気が付いたのです。
なんにもなくなった市街地を通りすぎ、目指す慈恩寺さんは、陸前高田の湾の東側に位置する半島の港町、泊というところにあります。ここ。
住職の古山敬光和尚さんとは毎日Facebookでご挨拶をしているので、距離感を感じないのが不思議です。毎朝早くに、素敵な言葉を発信されている妙心寺派の布教師さんです。
お寺に到着すると、玄関でお出迎えいただきました。
写真は、慈雲寺さんの境内に震災後新たに建立された「やすらぎの碑」。目の前には津波が押し寄せた湾が見えます。
庫裡にあげていただいて、奥様にお茶や美味しいコーヒーもいれていただき、遠路を労っていただいて歓談することしばし。古山さんは実の妹さんご夫婦とそのご子息を津波で亡くされており、また檀家さんも52人もお見送りになったとのこと。さぞかし無念な思いをされたであろうと推察します。
しかし門まで押し寄せた津波は多くの家と命を奪いましたが、お寺は玄関の土間まで波が来て引いたため、長らく避難所として多くの人を収容されていたそうです。
妹さんご夫婦の亡くなった経緯をお聞かせいただいたり、震災直後の様子などをお聞かせいただきました。それから、私たちが謎に感じていた宮城県と岩手県の被災地の現状の違い。古山さんによるとそれは、震災直後から県主導で動いた岩手県と、市町村主導でさせた宮城県のやり方の違いが大きいだろうということでした。
いろいろなお話に、いろいろな思いや考えを持ちましたが、弾丸ブーメランツアーのため、11時過ぎには出発せねば金沢にたどり着けぬということで、お暇を請い、持参した花のプランター15個を車から境内に下ろさせていただきました。
午後からお寺で開かれるヨガ教室に、仮設に住まう檀家さんたちが見えるので、その時に早速プランターをお渡し頂けるとのこと。喜んで頂けると思うとのありがたいお言葉をいただきました。
急ぐあまり、なんとこの時の写真を全く撮っていないことにあとで気が付く始末。(^_^;
しかしながら、夕刻に古山さんのFacebookページに、暖かいお言葉とともにプランターをお渡しいただいた時の写真が掲載されていましたので、古山さんにご許可を頂いて、その写真を拝借しました。それがこれ。↓↓↓↓↓↓
どうです、この満面の暖かい笑顔。(^_^)ほんとに小さな力での少数のプランターしかお届できなかったのですが、この写真を見せていただいて、かえってこちらが力をいただきました。古山さんには、ご縁をいただいてありがとうございました。どうか皆さんの生活に、この花が少しでも役だってくれることを祈っています。
こうしてプランターを下ろして後、古山さんには、「また花の様子を見に来てね」と言われ、再開をお約束してお寺を発ちました。
帰路は気仙沼を経由して一ノ関へ向かいました。平泉も近いのに立ち寄ろうとしない私に、妻が、今回はなんでどこにも寄らないの?と聞きます。「それはね、今回の旅行には被災地に花を届けるという大きな意味を持っていたからだ、だから今回は他にはいかない」と、わけのわかったようなわからんような理屈で対処し、一ノ関インターから東北自動車道を南下して郡山ジャンクションへ。あとは往路と同じルートを妻の実家のある金沢へと向かったのでした。
新潟付近では田中角栄の「日本列島改造論」をWikiで再学習しつつ、高速がなかったら、なかなか無理だったなと思った次第です。この日、朝陽もみたのですが、夕方は日本海に沈む真っ赤な夕陽も拝むことができ、気持ちの充実を感じたのでした。
そうそう。南三陸町のさんさん商店街で買ったお土産の一つ「絆ロールケーキ」。
翌週の出勤日に間に合うように職場に送っておき、私もいただきましたが、甘すぎず、とても美味しかったのです。皆さんも行かれるようなことがあったら是非どうぞ。


金沢で一泊しての自宅までの3日間の総走行距離は1910km。結構たいへんかと思っていた割にすんなりと行けた行程でした。まだまだ大丈夫。もちろん、時折、運転を交代してくれた妻に大いに助けられました。
「花咲じいさんプロジェクト」などと大それた命名をした割りには、ちっちゃなプレゼントツアーでしたが、どうか皆さんも、是非機会をつくって、思いきって被災地をご自身の目で見に行ってください。車だと結構な距離ですが、新幹線や飛行機だとちょちょいのちょいです。
【追記】
その2で書きました、「友人である仙台のお寺の住職から電話があり、ちょうどいま、陸前高田からの帰りなので、今夜われわれが泊まるホテル観洋に立ち寄りますよとのこと。」の友人ですが、彼はボランティア活動の途中だったので、その時間の都合により結果的に出逢えませんでした。忘れてたみたいなので、一応、ご報告です。

そうこうしているうちに妻もすっきりしたーとお風呂から戻って来ました。朝食の時間まで、まだ1時間以上あります。

そしてまだ少し食事までに時間があるので、もう一度、あの防災庁舎へ行くことにしました。やっぱりやっておきたいことがあったのです。
このホテルはフロントが5階にあって、岸壁にへばりついているように建っているホテルで、温泉大浴場は2階にあるということで、さっそく私らは浴衣に着替えて、本日の疲れを癒しに温泉へ。

食事を終わるとさっそくに出発。本日の目的地である南三陸町への到着予定は2時台と目算。
あまりに荒れ地になっていて、こうなってしまう前の町並みを知らない私たちには想像ができません。車は少し走っていますが、人はまったく歩いていないのも衝撃です。


つづく。