忙中閑あり っていうより結構ひま?

eyecatch201106.jpg

お知らせ

ブログにFacebookのコメント欄を設置しました。Facebookユーザーの方、是非ご利用くださいね。Facebook内にも反映されます。

花咲じいさんプロジェクトツアー その5

前回のブログは、いつもにまして推敲ができていなくて、はずかし。m(_ _)m

さて、朝8時にホテル観洋を出発し、気仙沼、陸前高田へと海沿いの45号線を走りました。
気仙沼にも父の親しい地福寺さんというお寺が被災されていて、先月末にこちらに来たときには、ご挨拶に立ち寄りましたが、今回は妻にそのお寺を見せただけで、ご挨拶もせずに先を急ぎました。
気仙沼市も、未だに津波をかぶった家屋の基礎が残っていて、津波をかぶらなかったところと明らかに違う景色が広がっています。
国道沿いに「津波到達想定区域」というような新しい標識がたっていて、もしも次に同じような津波が来たときには、ここより高いところに逃げるようにということなのでしょう。
その標識を区切りにして、被災した家の跡と被災していない家の境界線になっているようでした。

陸前高田市にやってきました。街のあったところは御覧の通りの更地です。しかし、宮城県の被災地と違って陸前高田市は津波の被害にあった家の基礎もきれいさっぱり取り除かれていることに気が付いたのです。

陸前高田
あとで陸前高田市長の鳥羽太氏のFacebookでの書き込みで分かったのですが、陸前高田市はすでに、塩水をかぶった田んぼの土もほぼ削り取ってしまっているとのことでした。

なんにもなくなった市街地を通りすぎ、目指す慈恩寺さんは、陸前高田の湾の東側に位置する半島の港町、泊というところにあります。ここ
住職の古山敬光和尚さんとは毎日Facebookでご挨拶をしているので、距離感を感じないのが不思議です。毎朝早くに、素敵な言葉を発信されている妙心寺派の布教師さんです。
お寺に到着すると、玄関でお出迎えいただきました。
写真は、慈雲寺さんの境内に震災後新たに建立された「やすらぎの碑」。目の前には津波が押し寄せた湾が見えます。

慈恩寺さま庫裡にあげていただいて、奥様にお茶や美味しいコーヒーもいれていただき、遠路を労っていただいて歓談することしばし。
古山さんは実の妹さんご夫婦とそのご子息を津波で亡くされており、また檀家さんも52人もお見送りになったとのこと。さぞかし無念な思いをされたであろうと推察します。
しかし門まで押し寄せた津波は多くの家と命を奪いましたが、お寺は玄関の土間まで波が来て引いたため、長らく避難所として多くの人を収容されていたそうです。
妹さんご夫婦の亡くなった経緯をお聞かせいただいたり、震災直後の様子などをお聞かせいただきました。それから、私たちが謎に感じていた宮城県と岩手県の被災地の現状の違い。古山さんによるとそれは、震災直後から県主導で動いた岩手県と、市町村主導でさせた宮城県のやり方の違いが大きいだろうということでした。

いろいろなお話に、いろいろな思いや考えを持ちましたが、弾丸ブーメランツアーのため、11時過ぎには出発せねば金沢にたどり着けぬということで、お暇を請い、持参した花のプランター15個を車から境内に下ろさせていただきました。
午後からお寺で開かれるヨガ教室に、仮設に住まう檀家さんたちが見えるので、その時に早速プランターをお渡し頂けるとのこと。喜んで頂けると思うとのありがたいお言葉をいただきました。
急ぐあまり、なんとこの時の写真を全く撮っていないことにあとで気が付く始末。(^_^;

しかしながら、夕刻に古山さんのFacebookページに、暖かいお言葉とともにプランターをお渡しいただいた時の写真が掲載されていましたので、古山さんにご許可を頂いて、その写真を拝借しました。それがこれ。↓↓↓↓↓↓

20120423-3.jpgどうです、この満面の暖かい笑顔。(^_^)
ほんとに小さな力での少数のプランターしかお届できなかったのですが、この写真を見せていただいて、かえってこちらが力をいただきました。古山さんには、ご縁をいただいてありがとうございました。どうか皆さんの生活に、この花が少しでも役だってくれることを祈っています。

こうしてプランターを下ろして後、古山さんには、「また花の様子を見に来てね」と言われ、再開をお約束してお寺を発ちました。
帰路は気仙沼を経由して一ノ関へ向かいました。平泉も近いのに立ち寄ろうとしない私に、妻が、今回はなんでどこにも寄らないの?と聞きます。「それはね、今回の旅行には被災地に花を届けるという大きな意味を持っていたからだ、だから今回は他にはいかない」と、わけのわかったようなわからんような理屈で対処し、一ノ関インターから東北自動車道を南下して郡山ジャンクションへ。あとは往路と同じルートを妻の実家のある金沢へと向かったのでした。
新潟付近では田中角栄の「日本列島改造論」をWikiで再学習しつつ、高速がなかったら、なかなか無理だったなと思った次第です。この日、朝陽もみたのですが、夕方は日本海に沈む真っ赤な夕陽も拝むことができ、気持ちの充実を感じたのでした。

20120423-4.jpgそうそう。
南三陸町のさんさん商店街で買ったお土産の一つ「絆ロールケーキ」。
翌週の出勤日に間に合うように職場に送っておき、私もいただきましたが、甘すぎず、とても美味しかったのです。皆さんも行かれるようなことがあったら是非どうぞ。

20120423-5.jpg20120423-6.jpg
金沢で一泊しての自宅までの3日間の総走行距離は1910km。結構たいへんかと思っていた割にすんなりと行けた行程でした。まだまだ大丈夫。もちろん、時折、運転を交代してくれた妻に大いに助けられました。

「花咲じいさんプロジェクト」などと大それた命名をした割りには、ちっちゃなプレゼントツアーでしたが、どうか皆さんも、是非機会をつくって、思いきって被災地をご自身の目で見に行ってください。車だと結構な距離ですが、新幹線や飛行機だとちょちょいのちょいです。
何もボランティア活動ができなくたっていいと、現地の人たちも言ってくれています。目でみて、状況を共有して、忘れないように。そして、ひょっとしたらいつかおとずれる、自分のことのためにも......。

【追記】
その2で書きました、「友人である仙台のお寺の住職から電話があり、ちょうどいま、陸前高田からの帰りなので、今夜われわれが泊まるホテル観洋に立ち寄りますよとのこと。」の友人ですが、彼はボランティア活動の途中だったので、その時間の都合により結果的に出逢えませんでした。忘れてたみたいなので、一応、ご報告です。

花咲じいさんプロジェクトツアー その4

花咲じいさんプロジェクトツアー二日目は、朝3時半から。
前日に早く寝たので3時半には目が覚めてしまいました。この日の日の出は5時9分だとか、大浴場の前に書かれていました。というのもお風呂で太平洋から昇る朝日を拝むことができるからなのです。
朝のお風呂は4時から入ることができるというので、まずは朝風呂へ。ところが、天気予報では日本全国雨か曇り。南三陸町も曇り空で、日の出は拝めそうにありません。
朝日を待つまでもなく部屋へ戻ってきて妻を待ちつつ私はカメラを構えておりました。
すると雲の隙間から朝日が覗き始めました。

2012-04-21-1.jpg
こうして三陸の朝を迎えました。震災の後に再開された養殖が、模様のように見えています。よくみると、漁師の人たちも朝の仕事をされています。港はどこも傷んでいるのに、この船はどこから出してこられるのでしょう。
懸命に生きていこうとされている息吹を感じます。

2012-04-21-2.jpgそうこうしているうちに妻もすっきりしたーとお風呂から戻って来ました。朝食の時間まで、まだ1時間以上あります。
そこで散歩がてらちょっと出かけようということになったのです。今日はこの南三陸町もあとにして慈恩寺さんのある陸前高田市に向かうわけで、その陸前高田から帰路について金沢に向かうことにしていますから、南三陸町も今をおいて時間がないのです。

車に乗って陸前戸倉の方に戻りました。昨日通った時に、まだ壊れかけたまま放置されている建物があったのを間近で見ようと思ったからです。
そしてだれもいない朝の時間にやってきました。

2012-04-21-3.jpg
戻ってからGoogleマップで確認したところ、どうやら戸倉小学校です。
予算的なことからでしょうか、まだ津波にのまれたままの状態です。果たしてここの子供たちは助かったのでしょうか。ネットで探してみたところ、在校中の生徒たちはみんな助かったとのこと。屋上に避難することになっていたら、犠牲者がでていたかもしれません。

2012-04-21-4.jpg
ちかくには瓦礫が山になっています。妻も愕然としているのが見て取れるでしょう。

2012-04-21-5.jpgそしてまだ少し食事までに時間があるので、もう一度、あの防災庁舎へ行くことにしました。やっぱりやっておきたいことがあったのです。
本当はこんな勝手なことをしてはいけないのかもしれないけれど、どうしてもしておきたかった。妻と二人、それぞれの手のひらにワイルドフラワーの種を握って、人っ子一人いない南三陸町の防災庁舎のまわりを、甘露門をお唱えしながらパラパラと種を蒔いて回りました。ちょっとしょっぱい涙を流しながら。

塩水をかぶった土の上なので果たして芽を出すことができないかもしれないけれど。
どうか芽を出して花を咲かせて欲しいと願うだけしかできないけれど。

そして宿に戻って7時からのバイキング形式の食事をとりました。
驚くことに7時にはもうすでに広いビュッフェは満員になるほどの人たちでした。
すでに私達のように着替えてしまっている人たちも多かったのです。
それは何を意味しているか。
みんなゆっくり泊まってバカンスに来ているわけではないではないのでしょう。ボランティアの人たちはもちろんのこと、たとえボランティアに来ているわけではなくても、ゆっくりしている気にはなれない。きっとそうなんだろうと思います。
私達も8時前にはホテルをあとにして陸前高田市に向かい始めました。

つづく

花咲じいさんプロジェクトツアー その3

私がぐずぐず書いてる間に、妻のブログでは1回で全行程を済ませちゃいましたよ。先を越された。ありゃりゃ ^^;

さてさて、南三陸町の南の端の沿岸部にあるホテル海洋。私たちのようなノンボランティアではなく、長靴を履き、作業服を着た人たちがバスで大勢きています。若い人たちにまじって、年配の方々もおられるようです。自然と頭が下がります。
こちらに到着し、フロントの女性に部屋まで案内いただきました。10階の建物で、私たちの部屋は最上階。
部屋からは三陸の海が絶景です。私たちを迎えてくれたのは、このカモメたち。

20120420-2.jpg
部屋の前の手すりにとまって、じっとこちらを見ています。どうせ窓は開かないんだから捕まえられないこともよくわかっているのか、余裕をみせています。高所恐怖症の私としては、こんなところから飛び出していくやつらの気持ちがわからん。
まぁ鳥に「よく飛ぶね」というくらいナンセンスなこともないですが。

南三陸のカモメたちこのホテルはフロントが5階にあって、岸壁にへばりついているように建っているホテルで、温泉大浴場は2階にあるということで、さっそく私らは浴衣に着替えて、本日の疲れを癒しに温泉へ。

20120420-3.jpg
ゆったりした三陸海岸。こんな景色を見ながら露天風呂につかることができます。ここをあの津波が襲ってきたなどとは、まったくもって想像できませんが、露天風呂から目を左前方に移すと、南三陸町がかすかにみえますので、現実を知るのです。
カモメたちは相変わらずお風呂の上も飛び交っているので、なかなか気が散ってゆったりお風呂に入っていられんのですが、とてもいいお湯(深層から湧き出しているそうです)で、体を緩めることができました。

お風呂をあがって、休憩室で生ビールをいただいていると、となりにいたおじさんたちが、ホテルの女性従業員に震災の日のことを尋ねて出しました。私も聞き耳をたてていたところ、この比較的高いところにあるホテルの先ほど入っていた露天風呂にも津波は到達したそうで、露天風呂と内風呂をしきるガラスも何枚か割れたとのこと。驚くばかりです。
この従業員さんも、道路が寸断されたので自宅にも帰れず、1週間ほどホテルで生活していたそうです。

20120420-4.jpg
食事はこのとおり、アワビの踊り焼きをメインにした海鮮料理。とても美味しい新鮮な魚介類をたいらげました。ご当地地酒の純米「真鶴」4号瓶をするっといただき、たぶん、10時になる前には鼻風船をふくらませていたと思います。

まだつづく

花咲じいさんプロジェクトツアー その2

昨日はどこまで話したかのぉ (子供が好きだった『トガリ山のぼうけん』風に) 。w
ガソリンを満タンにして、磐梯山も拝んだ私たちは、それからまもない郡山ジャンクションを経由して東北自動車道に入ったのじゃ。(もういいって?)

ほとんど車の走っていなかった磐越道とは違い、東北道はさすがに車の台数も多い。ただし、ところどころで1車線をふさいで工事していることも多々。これは震災でいたんだ道路を修復しているんだとのこと。確かにアスファルトが平坦ではなく、ぐねぐねしているように感じるのは、うちのランクルが爺さんになっているからではなさそう。

途中、東北道のサービスエリア(なんてところだったか忘れちゃいました^^;)で、昼食タイム。ここにいたって喜多方ラーメンを食しました。面がカールしてて太いのね。スープはあっさりで、お腹にはやさしそうでした。このラーメンの撮影時間が4/13の12:10だから、自宅からここまでで8時間経過。
ラーメン食べながら、意外に疲れていないし、早くここまで来られたと妻と話しておりました。

喜多方ラーメン食事を終わるとさっそくに出発。本日の目的地である南三陸町への到着予定は2時台と目算。
東北道から仙台宮城経由......(このあたりスマホのナビに頼ったので忘れた^^;)して、南三陸町も近い、宮城県登米市津山の「道の駅津山」に立ち寄りました。
このあたりは、まだ震災の影響をうけたようには見えないところで、大きな道の駅には数台の車が停まっていました。
中に入ってみると、近所の農家の人たちが持ち込んで販売している野菜がたくさん。それも安い。妻はそれをみて、気になる野菜を何点かと御漬物を買い込んでいました。となりには「もくもくランド」という木工品を販売しています。ここでの売上げの一部は被災地の義援金になると書いて有ったこともあり、色々と気になるものもありましたが、プランターを積んでいるので、大きなものを買うわけにも行かず、自然の木目がかわいらしい箸置を8つ購入。(^^ゞ

この道の駅を出たところに、友人である仙台のお寺の住職から電話があり、ちょうどいま、陸前高田からの帰りなので、今夜われわれが泊まるホテル観洋に立ち寄りますよとのこと。今回は仙台には立ち寄らないつもりだったので、思いがけない連絡に喜びました。

車をどんどん海沿いに向けて東浜街道を走り、2?30分も走ると陸前戸倉に入ります。海が見えた瞬間から、このあたりは津波による被害が見えます。私は前回、3月末にもここを通ったので見覚えがありますが、妻は初の津波被災地体験。いきなり見た爪痕に驚いています。

被災地1
あとで陸前高田に行ってから気づくのですが、宮城県はまだこうして流された家の基礎が残ったままのところがとても多かったのが印象的です。

海岸線に出て、少し高台になるだけで津波が来なかった家もあり、登ったり降ったりの道路を走ると、なんどもため息が出るばかりです。
本日の宿泊地である「ホテル観洋」の前を一旦通りすぎ、南三陸町の町並みのあったところへ到着。新しい電柱や信号機の他は、こんな平地になってしまっています。
町のあったところには仮設のガソリンスタンドや床屋などが数件あるのみです。

南三陸町あまりに荒れ地になっていて、こうなってしまう前の町並みを知らない私たちには想像ができません。車は少し走っていますが、人はまったく歩いていないのも衝撃です。

そしてやってきました。防災対策庁舎。facebookでチェックインを発信すると、さっそく友人から「ここですか......」のコメントが。そうです。女子職員が自らの命をかえりみることなく、防災放送で津波の警告を発し続けていたところです。3階建ての建物。4階まであったら助かっていたかもしれません。玄関付近には沢山の仏像や花がお供えしてあります。お経一巻をあげさせていただきました。

防災対策庁舎
前回にも感じましたが、ここは被災地のモニュメントとして遺しておくのがいいのかも知れないと思います。広島の原爆ドームのように。

自宅から約850km、初日の旅はこの近くにある「ホテル観洋」に到着して終了しました。

つづく


花咲じいさんプロジェクトツアー その1

先日用意したプランターを積み込んで行ってきましたよ、遠路東北まで。2泊3日の花咲じいさんプロジェクトツアー。(^_^)v
有給休暇をとって4月13日(金)の早朝4:00に、ランクルのトリップメータを0kmにリセットし自宅を出発。彦根ICから名神高速?北陸道へ。
妻の実家のある金沢ICを約2時間で通過、予定通り順調に。ただ前夜に3時間ほどしか眠れず、ちょっくら眠けと戦いつつ、高岡近くの有磯海サービスエリアで休憩。ここにはホテルニューオータニのレストランが入っているので、躊躇なくここで朝食タイムにしました。
旅行中はほとんど車に乗っていることと、どうしても食べすぎてしまうことを懸念して、朝粥セットとカフェラテを注文。写真撮るのは忘れちゃいました。ほかに焼きたてのパンも販売されており、美味しそうなので思わず3つ購入、車に乗り込むやすぐ食べることに。w なんだかんだいっても、結局しっかりカロリー取ってるし。

有磯海SAにて
ドライビングポジションが定まらず、ぶぅぶぅいう妻とも、たまに運転を交代しつつ新潟市から磐越道へ。ところがこのあとちょっとしたハプニング。
この磐越道に入る直前のサービスエリアで、「この先、村上方面の最終ガソリンスタンド」と書いて有ったのですが、村上方面が書いてあって郡山方面のことは書いていないから、大丈夫だろうと思い、燃料系1目盛しか残っていないガソリンのまま磐越道に入ろうとジャンクションにかかったところで、「磐越道はこの先140km、ガソリンスタンドがありません」との表示。なぬっ!
激しく頭を回転させて、残りのガソリンと走行可能距離をはじき出す(実はスマホの計算機をつかっていたが(笑))。
出た数字によると、この140km先のSAにたどり着けるかギリギリのガソリンしか残っていない。でも、どうしようもなく磐越道を東へ......。燃料系の燃料切れランプが点灯。いやいや、まだ20L近く残っているはずと、半ば無視。
美しい麒麟山や阿賀野川の雄大な流れを横目にしつつも、気持ちはドキドキ。140km先と出ていたサービスエリアはどうやら磐梯山SAであるらしい。
すると、見えてきました、雄大な磐梯山。磐梯河東インターチェンジ500mという標識も見えてきました。あと少しで磐梯山SA。

磐梯河東インターまでわずか
美しい山ですね。まだこんなに雪を残しています。そういえば高校の修学旅行で行ったなぁ。その近くの宿で泊まったときに、担任の老先生が生徒たちのところに酔っ払ってやってきて、♪会津磐梯山はーたかーらのー山よー♪と踊りながら歌ってられたのを思い出しました。あはは(^_^)

と余裕を見せていたら、突如、エンジンがゴホッと咳き込んだのです。即、「あ、ガス欠する」と思い、目の前に迫っていた磐梯河東インターで躊躇なく降りてしまいました。
高速代8000円強を表示していましたが、そんなことよりガソリンです。エンジンを止め、スマホで付近のガススタンドがないか確かめると、1.2km先にありました、ENEOS。
祈るような気持ちでエンジンをかけて無事発信し、そろそろとそのガソリンスタンド「八田商店」を目指しました。
ハイオク170円/Lの価格にもめげず、ここにガソリンスタンドのあったことに感謝し、「満タン」と。結果92Lも入ってしまいました。詰め込めばもっと入ったでしょう。タンクは97Lなので、かなりからっから。いやはや危ないところでした。

磐越高速に立ち戻って、磐梯山SAに立ち寄り、この一枚。まだこんなに雪が残っていたのです。

会津磐梯山つづく。

このページの上部へ